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昭和30年代
四国の中央部、東西に走る大きな山脈は瀬戸内と山間部を隔てています。 中央構造線と呼ばれる大きな地殻のひだのため、わずかの距離でも南北に移動するのは困難です。 その不便さゆえ、今も美しい自然に恵まれた地が金砂です。平成16年春、合併によって生まれた ”四国中央市”の嶺南と言われている地域にあたります。
 ここには昭和の時代、数千人という多くの人が住み、活動的な社会が営まれていました。今では山行記や つり案内しか情報がなく、往時を知るのは年配者だけとなり、忘れられているように思います。 社会・経済の変化とは言え100年に満たないわずかな期間に、多くの人々がこの地域とかかわって生き、 またもとの自然に還ろうとしています。長い期間の人間活動や自然とのかかわり方を考えるとき、金砂の地を めぐった過程は、大切な事を示しているようにも思います。
 私は当時の写真を多く相続し、これらを見ていると眠らせておかず、公開すべきと考えたものです。 金砂という地から大切なものもらったと感じるのは、私だけではないと思います。