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まえがき
 終戦から五十年を迎え記憶も次第に薄れて参りました。
松山市の先輩西山さんから工兵第五十五聯隊の聯隊史を作る
とのお手紙を頂きました。この機会に自分史を書いてみよう
と思い、さし当り戦史をまとめてみることにしました。
手元に有るのが戦時名簿と遺骨名簿だけ、工兵隊は分隊単位
で別行動する事が多く先輩の皆さんの資料やご意見を承り何
とか此処までこぎつけました。記憶違いも多いと思いますが
ご了承下さい。
写真の方は私が一九九三年一月に「ベトナム」と「カンボジ
ア」へ行って参いりました。
本文にも少し触れたように大東亜戦争勃発の一九四一年十二
月八日には「ホーチミン」の東方一八〇キロの「ナトラン」
の街に居り、「ホーチミン」で数日を過し十二月十二日から
三〇日までメコン河で、一九四二年正月は「プノンペン」で
過した。
丁度このルートを今回通る事が出来、写真に納める事が出来
ました、また、一九九五年二月十六日より二七日まで
「ビルマ」英霊顕彰会第九回の巡拝団に参加して一番思い出
の多い「モールメン」・「シッタン」河に行く事が出来、
写真を挿入する事が出来ました。五十年前と全く変ってない
処も沢山あり懐かしくもあり哀れにも思えます。
北の「ラシオ」と南の泰緬鉄道の終点「タンビザヤ」は戦闘
では行かなかったが今回巡拝する事が出来ました。
「ミートキーナ」、「プローム」、「バセイン」、「ミヤン
ミヤ」そして「アラカン」の「タンガップ」、「ラムレ」島
、「アキヤプ」、「サウンダラ」、「ブチドン」、「モンド
ウ」と行きたい処は沢山ありますが今回は行く事は出来ませ
んでした。またの機会と思っております。

   平成七年四月・吉日
        楯(壮)兵団 工兵第五十五聯隊聯隊本部
            石川 順一