「ラシオ」「ゴクテ-ク」間の駅
「 シンゼイワ 」包 囲
敵第七師団の兵力は、約二八〇〇、戦車一二〇台、トラック群約一〇〇〇車両を越え
る大部隊、二月七日には敵軍の退路を完全に遮断して袋のネズミとした。
ここで日本陸軍が最初に体験した近代陸上戦、円筒形陣地、英軍の正式名では「リン
グ・ディフェンス・システム」一般ではハチの巣陣地と呼んでいた。
戦車によって前周防御と飛行機による航空補給を基礎として守備戦闘する陣形である。
丸亀歩兵連隊の主力工兵隊により朝がけ、夜討、黎明攻撃と夜襲を繰返したが毎日のよ
うに物資、弾薬、医療資材など空輸によって補給し、兵力も増強して、我が方の陣地に
戦車砲、野砲の攻撃により山は裸になり壕はつぶされ負傷者は続出し、一週間分の食糧
弾薬も底をつく。
我が軍の山砲も時々数発砲撃するが超重量級のM4戦車には弾ははね返されて効果はな
く、戦車の陰から襲いかかるインドの「ゴルカ」兵は湧猛果敢で日本兵も一目置いていた
部隊である。
これでは日本軍が如何に戦うか敵陣を前にして完全に立往生である。
私はこの時工兵第五五聯隊聯隊本部にて暗号班長として活躍していた。丁度二〇二高地
に攻撃を受け、私の所属していた第二中隊第二小隊長柊原少尉は、戦車砲の直撃を受け
壮列なる戦死をせられた。私の部下であった一番信頼していた藤井一等兵もこの時に戦死した。