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「ヤンゴン」上空より

 「 ミンガラドン 」

 八月十八日「ミンガラドン」に移動し、本格的に作業にかり出された。
丁度その時、聯隊長外四名が戦犯者としての、公判が行われる事になった。B二四の墜
落による飛行士達の銃殺に関わった人達であった。聯隊長・将校二名・下士官一名・兵
一名である。
軍事法廷に証人として私も立つ事になつた。原告側の証言をしているのは、聯隊の通訳
として「マンダレー」以来行動を共にしていたビルマ人モンバレンである。
法廷では顔、人相も全く変り別人の様に思った。私が証言台に立つと早速モンバレンが、
この者も銃殺に参加したと言われ、頭の中に血が充満したか、その後何を証言したかは、
記憶になく、その後呼出しは来なかった。
「ミンガラドン」では皆が相当体力も回復し食事も良くなった。特に工兵隊は技術者ばか
りで,大工・鍛冶屋・その他種々の技術を持った者が多く、鑪・鋸・ハンマ・カンナ・刀
・新しく何でも作り出してしまうため、材料さえ持ち込めば全部製品になってしまう。
英軍の将校室に行ってみると,我々の作った物が沢山置かれている。
大きいボックスなどを作ると缶入煙草が十缶と交換できる。最後には日本の兵隊の方が
良い煙草を吸っている様になつた。
お険で野球チームも出来た。また劇団も次々と出来て、舞台を作って公演する迄になっ
た。