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25 下士官教育、暗号教育

「タンガップ」で下士官候補者の教育が実施された。第二中隊 から石川、黒川、津田の三名、第三中隊から鎌田、松本の計五名、 教官には中村中尉がなった。昭和十八年(一九四三)二月一日 伍長に任ぜられる。 八月一日から九月十六日まで第五十五師団司令部「アキヤブ」で 師団に於ける暗号教育を受ける。毎日のように空襲があった。 教育中に師団司令部が二回に亘り爆撃を受けたが怪我はなかった。

ラシオ慰霊祭

聯隊本部 九月十六日無事暗号教育を終了する。同日聯隊本部附を命ぜられ、 暗号班長となる。九月十七日から「サウンダラ」にて部隊追及者を 集め聯隊の糧秣輸送を行った。「サウンダラ」は「マユ」河の輸送 拠点で有り、敵もそれを承知で渡河点には夕方遅くまで低空で来襲し 機銃掃射を行って帰る。私の部下の阿部一等兵は退避が遅れ二十ミリ 機関砲で腹部をやられた。早速開腹手術を行って一命を取り止めたと 思ったが、三日後に亡くなった。誠に残念である、ご冥福を祈る。

ラシオの住民たちが見物

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