「ホーチミン」 クリークに沿う住宅
仏領印度支那「 べトナム 」上 陸
十一月三〇日、仏領印度支那安南「カムラン」湾に上陸する。「カムラン」湾は日露戦
争のとき、バルチック艦隊が寄港した港として有名である。「ロデエストウインスキー」
中将に率いられたパルチック艦隊は当時世界最強と言われていた。
北港を出発した艦隊は、大西伴をアフリカ西海岸沿いに南下しアフリカの南端「ケープ
タウン」をまわって,印度洋を渡り「シンガポール」を経て「カムラン」湾に集賭した。
ここで燃料・食糧を補給し「ウラジオストック」に向かった「カムラン」湾は湾口は狭
いがこれを過ぎると広々とした湾内となる。我々と,ビルマ作戦を共にした南機関も台
湾高雄を出港して、十二月二二日ここに上陸している。
太陽の光はまぶしく、海の水は澄みきって水深三○米位は見えるように思え魚が重なり
あって泳いでいるため、一刺しすれば数匹が捕れそうだった。廻りの山々は緑に包まれ
冬の気配は全くなく、やはり常夏の國だと実感した。また、時々虎が出るとの話である。
「ニヤチヤン」の町は「サイゴン」の北方約四〇〇キロにある、安南人の町で、「カムラ
ン」湾の北西にあたり最寄の駅で有る、この町から「ナトラン」までは汽車で行ったか,
車で行ったかは記憶にない。十二月二日「ナトラン」に到着する。「ナトラン」の町は、
東支那海に面する風光明美の高台であった。十二月八日、大東亜戦争勃発をこの町で聞
いたが町の様子は何も変わらなかった。