「モールメン」の丘慰霊祭
・・「 ビルマ 」進入作戦
「ビルマ」の面積は日本の一.七倍、東西六〇〇キロ、南北・六〇〇キロ。
我々の正面の敵は、英印度軍二万五千人(イギリス人四千人・インド人七千人・その他カ
レン人・カチン人・ゴルカ人)重慶軍五万人・直前は英印軍四万人・重慶軍一〇万人と
ご言われている。
一月十三日我が中村小隊は引続き本隊追及のため「ラーヘン」を出発した。ここからは
完全装備で徒歩で八〇キロの東「インド」山脈を越えねばならないい。山の中での野営は、
気温、一○度以下になつたと思われ相当の寒さを感じた。
休憩の時大さな野生の里芋を見つけ、一人で採ろうと思って大分頑張ったところ休中が
痒くなったのでこれは大変だと中止したが,畑の里芋も多少痒くなるがその比ではない。
一月十六日「メソード」に到着した。坂出港を出発して,別行動だったが、中隊に無事
復帰する事ができた。草原で高い木が一〇米間隔位に生えていて、草原の片隅には沢山
蔓豆がなつていた。
もう何口も野菜を食べてないので早速採って帰ったが、飯盒で煮て味見をしてみると苦
くて食べられない二度めの失敗だ。これで、南方では野生のものは食べられないことを
知った。