シッタン河鉄橋。慰霊祭に来ている子どもに鉛筆のプレゼント
「 シツタン 」河
第五師団は二月二〇日,「シッタン」河畔に到着していた。二小隊岡根班も「シッタ
ン」 河で中隊復帰した。その頃二小隊中村小隊は丸亀兵第一一二聯隊第一大隊長長谷川
支隊配属され,「ラングーン」対岸「シリアム」飛行場を攻略するため、「シッタン」河
下流に於いて渡河に当っていた、ところが季節的に起さる津波の様な上げ潮に襲われ,
アット言う間に渡河中の門橋が遥か上流に流されたとのこと、「シッタン」河の最初の試
練を我が小隊が受けたようだ。
河巾五〇〇米工兵隊が渡河に当つている。丁度折畳舟で門橋を組んで戦車中隊の戦車を
渡すところだった。もあいが切れたか戦車を河に落としてしまったが操縦手は天蓋を開け
ていたのか無事肋かった。
二月二七日から三月二日迄に第五師団の「シッタン」河の渡河は完了し「マンダレー」
街道へ向った。「シッタン」河を渡ると見渡す限りの大平原(ワウ平原)で一面の水田が
広がる穀倉地帯である、ここは「イラワジ」河と「シックン」河が造った人きな沖積層
で一度雨期になると平野は見渡す択り冠水するというが、乾期の今は一滴の水も無く収
穫の済んだ田圃はカラカラに乾いて縦横にひび割れている、牛車が乾いた田圃にもうも
うたる挨を上げて進んでいる。
中隊が「シッタン」河渡河直後、敵のM4戦車が出没したため早速対戦車攻撃の命令が
出され破甲爆雷や、擱座さすために使用する二米くらいの手ごろの木の棒の準備にかか
つた。