「ペグー」の四面像
・・・「 シツタン 」河
「パパイヤ」の木が,丁度手ごろの大きさと思って切ってみて驚いた,柔らかく使いには
当らない、後になって「パパイヤ」の幹は食料にした、堅い木はこの付近では見つから
なかった。
敵は「ラングーン」(ヤンゴン)から「マングレー」に向って逃走中、日本軍に遮断され
突破口を作るためだったのではないか、その後敵の戦車を見る事はなかった。途中擱座
したM4戦車を見て驚いた、日本の戦車砲は中まで入らず途中で止っていて、前面の綱
板の厚さは七・八糎は有ると思われた。
日本の戦車と比較すると大人と子供の感じです。数日後「ペグー」北方に於いて日本の
戦車中隊は全滅したと聴いた。緒戦に於いても装備の優劣が目の当りに見せつけられた
感じがする。
「 ペグー 」
三月七日「ペグー」は陥落した。「ペグー」は「ラングーン」(ヤンゴン)北方八〇キ
ロ、かつての古い都で巨大な寝仏と金色に輝く「パゴタ」が名高い。三月九日、「ラング
ーン」(ヤンゴン)も陥落した。
我々は「ペグー」に一時駐屯して「ラングーン」に入ることなく直ちに北に向かって進
撃を開始した。
「トングー」の手前から陣地の中で箸を使った残飯が出てきた。先輩達は中支・北支戦線
の猛者揃いで前面の敵は「チャイナー」(重慶軍)だ、今度は少々手ごわいぞとの事であ
る。