「ラシオ」「ゴクテ-ク」間の農村風景
「 シンゼイワ 」包囲を解く
二月二六日ついに囲みを解いて、後退する事になつたが、各隊連絡がとれて行動に移
ったのは夜明け間近になった。草原を南に向かって進んで行くと、近くの山から何か声
が聞えてさた数分後に機関銃の一斉射撃をうけた。
平地では遮蔽する処もないので、全員蜘蛛の子を散らすように山裾に向かって退避した、
天の恵みか此処には敵は居なかった。夜も明けてしまったので。早速壕を掘って敵に対
する準備をし、日中は偵察機に発見されぬよう夕方まで我慢し日暮と同時に出発する事
になった。
負傷した者も歩ける者は歩いて、歩けない者は、馬の両側に葉巻にして荷物同様にして
後退した。
第四野戦病院ではそれでも負傷者が多く、残した者が相当いた様にきいている。
その夜も「ボンコリ」の河付近で夜が明けてしまった。山に入ることもなく背の高さ位
の草むらで日中身動きもせず過した。昼過ぎになると干満の差があるのか水がどんどん
上がってきて、草むの堤が残り少なく成ってきたが、幸い偵察機にも敵にも発見されず
一日を過した。
二月二八日、無事「プチドン」に到着した。記録によると三月十二日には英印軍が「プ
チドン」に進入している。「プチドン」より後退して、アラカンで雨期を迎える。
六月一日 軍曹に昇進する。