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「ワウ」平原

  「 ペグー 」山系に篭城

 第二八軍策集団、三万四〇〇〇人が「ペグー」山系に、四囲これ、ことごとく敵山麓
の部落も英軍に寝返った「ビルマ」軍、東側要地に三個師団、西側山間に一個師団と蟻
のはいだす隙間もない。
雨と飢え米が小量のため筍が主食となった。補給のみちは全くない。六月未には塩も欠 乏してきたので大軍勢の篭城も末期の様相が出て来た。止むことのない雨、「マラリ ヤ」・「アメーバ」性赤痢の発熱患者が小屋の中で枕を並べて寝ている、(武智中尉も 「ザヤット」東北方五キロで戦病死している。)策集団は最悪の状況にたち至っていた。
戦闘能力の有る内に出撃しないことには全員餓死しないとも限らない。そのためには東 へ向って「シッタン」河を渡河する敵中突破の横断作戦を強行し血路を開くより途は ない。