「シッタン」平野
・・・「 ペグー 」山 系
一九四五年二月二日 第五五師団は敵の目を欺く為かそれとも部隊消耗のためか分割され
てしまった。
振武兵団(長沢小将の指揮する歩兵団司令部 ・徳島歩兵第二・第三大隊・工兵聯隊)
干城兵団(古谷大佐の指揮する丸亀歩兵第一 大隊・第二大隊が特別中隊となる。)
貫徹兵団(山本小将の指揮する丸亀歩兵第三 大隊が軍直属となる。)
神威兵団(杉本大佐の指揮する騎兵聯隊・徳 鳥歩兵第一大隊・山砲兵第一大隊・工兵
一小隊)
敢威兵団(松井小将小数単位の遊撃戦闘隊工 兵宮崎小隊を含む。)
楯(壮)部隊は西南防御第一線より「ペグー」山系に突入したときは五月二日頃であっ
た。
この時英軍空挺隊第九師団が首都ラングーンを占碩している。我がビルマ方面軍司令部
は四月二三日既に「モールメン」に退却していた。