「サルイン」河 対岸は「マルタバン」
「 シツタン 」平地突破
運命の出撃の日は七月二〇日と決められた。
いよいよ出撃全員筏用竹二米を二本持って行くようにとの命令である。
出発前になると各所で.手榴弾の炸裂の音が聴えてくる、これは病気で衰弱して行軍で
きないと判断した兵の自爆である、普通で有れば元気で帰れるのにこんな状況では唯、
手を合わし冥福を祈るのみである。野象の通った道をつき進み、所々に腰まで入る穴が
あり、これが象の足跡で泥水のため判らない。山麓に出るまでに大半の者は筏用の竹は
捨ててしまったが、生竹のため重くて装具の外に持つ事は不可能である。山裾に出るま
で二日位かかったと思う。「マンダレー」街道と鉄道線路を越えなければならない、先遣
隊は激しく応戦している模様である。
辛うじて夜の明ける前に「マンダレー」街道と鉄道線路を敵の抵抗を受ける事なく横断
する事が出来たが、これから先が大変である、見渡す限りの大平原が腰までつかる沼池
になつていて,その中に点在する部落があるので、そこを目標にして進む部落には反乱
を起した「ビルマ」軍が待ちかまえているが無理に進むしか途はない。「クン」河を渡っ
て部隊は進路を北に転じている水深が深かった為だろう、歩兵団司令部は我々部隊と前
後して進んでいたが連絡は不通「クン」河を渡って真っ直ぐ東に進んだため「シッタン」
「クン」河の三角低湿地地帯に迷いこみ水深が身長を越える処があり「テンガビン」付近
で多数の水死者をだした。
湿地帯の難敵は蛭であった、血を吸うと七・八糎にもなり吸っているのを見つけるのは
困難で、何時も血が衣服に染まって初めて気村くやっかいな奴だった。
めざす部落に付いた、さっきまで人が居たような気配がしたが、おそらく隣部落に逃げ
たのだろう。そのうち迫撃砲の攻撃を受け、松井中尉が脚に負傷、聯隊長も両足をやら
れた。場所は「チッチゴン」部落だと思う。本日より聯隊長の一切の看護を仰せつかっ
た。担架だけで二〇名近くの人が必要で大変である。水の中に部落は浮島のように黒く
浮んで見えている、その彼方に一条、暗い雨天の下で白く光って見えるものがあった三
〇〇米の河巾一パイに濁流が白く逆巻いている。あれがめざす「シッタン」河だようや
くたどり着く事が出来た。八月三日「ジゴン」部落の近くである。