「モールメンヒル」よりサルイン河を望む
「 シツタン 」河 渡河
いよいよ「シッタン」河の渡河.聯隊長を担架のまま乗せるために、大きな筏になっ
た。
聯隊副官の犬伏中尉・田中軍医中尉・乾軍曹・石川軍曹・田上兵長の五名聯隊長を筏の
上に乗せて装具衣類をその回り縛り付け、片手は筏に、片手で犬かきで泳ぎ始めたが.
進むとゆうより流れにまかす様なもので、途中で筏が反対に向いてしまったが、かろう
じて岸に着く事が出来た。
そこは最下流でもう少し流されると敵の中に入ったかも知れない、部隊は大変心配して
いた模様だった、やれやれと思ったが上陸しても見渡す限りの泥沼が続いている。
敵がいないだけで全く状況は変ってない、担架に付く兵隊達も次々と倒れて、ゆく道の
両側には白骨化した死体,新しい屍,死臭が一面に漂っている中を八月八日、「ウェイギ
ン」に到着した。
此処からは一般道路を南下する。靴をなくして素足に「ボロ」布を巻いて歩いている者
も多い、湿地は土が柔らかいが道路は硬く歩行困難な者も出てきた。
私は鉄道線路を横断し最初にたどり着いた部落で、日本軍の新品の靴を見つけた十一文
とちょつと大きかったがそれが幸いした、多少足が腫れても大丈夫で転進中足の心配は
全く無かった。
靴がダメになって落伍した者も数百人にのぼると思われる。私は本当に神に助けられた
のだと思っている。「マダマ」河を渡り東岸を「キャウキ」に向かって南下した。
この頃敵の宣伝ビラからソ連軍の参戦を知った。