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「ヤンゴン」慰霊祭

  「 モールメン 」


一月二一日、「モールメン」に移動する。
「モールメン」でも作業が続けられた。一日、二箇所の孔を掘る様に言われた。大した作
業量ではないので、二時間もすれば終ってしまう。作業が終れば帰してくれるように、
交渉したが、なかなからちがあかない。そのうち昼になった。昼過ぎになると後二箇所
掘れば帰すとのことなので、皆が精を出してこれを完了した。しかし、すったもんだで
夕方まで置かれた。イギリス人は請負式の作業は全くやってない模様。朝からマンマン
で見廻り来たときだけ働いていれば良い。その点インド人・ビルマ人は心得た者で見廻
りの居ない時は働かず。何か持って帰れる物はないか様子を見ている。
我々もそれを見て参考にしたが、日本人の性格はやはり変らない。
最後には孔堀りも一日に、八箇所も掘らされた。糧秣庫の作業が一番皆に喜ばれた。こ
れは帰りに物資が失敬出来るからだ。将校宿舎の清掃等もあり。床に二・三本煙草を落
してゆく、直接本人には手渡さない。それがチップのつもりだろう。
六月二八日、「ラングーン」に移動のため乗船した。何も持物はなく移動は簡単である。
七月一日には本格的に作業隊が編成された。
七月十四日、記録では「ラングーン」「アーロン」に到着している。