
「ヤンゴン」ホテルの庭より湖畔を望む
「 キャウサリー 」
九月二八日に、「パウン」より「キャウサリー
」に移動する事になった。十月十五日頃、武装解
除が始り、武器が一箇所まとめられた。
これで日本軍には何も武器がなく自衛すら出来な
い。引続さ英軍の作業に駆り出される様になった。
私はここで炊事班長をやる事になつた。大小十数
個の平釜が集められ竈を作った。朝は二食分、夕
食と二回の給食である。食糧は毎日英軍の補給所
に行さ、一人何カロリーで補給される。
作業人員.炊事当番、病人等を毎日報告する。一
日、1人、一五〇〇カロリーに満たない量で七ポ
ンド入のチーズを貰って来ると大変、一食分が〇
.五オンス(一五グラム)外に副食は全く無し。
配給するのに困った。炊事の方は釜が大小様々で
一番大さいのは二五〇人分,小さいのは三〇人分
位で量を増すには水加減しかない。毎回、隣の小
隊の量と見比べて、我々の方が少ないと文句を言
ってくる。皆からこれでは仕事にならないと不満
が出てきたが、次第に配給量も多くなり、また作
業先より材料を持って帰り、煙草ケース、その他
作って食糧と交換して何とか過した。
十一月十一日、「キャウサリー」より「チャイボ
ン」に移動する。
十二月一日 「ポッタム」 曹 長
一九四六年の正月は「チャイボン」で迎えた。終
戦後初めての正月だが,平和が来たと言っても異
国の地である。その頃作業をやっていない部隊は、
内地に帰れるとの事で、日本から迎えの有馬山丸
が来た。
白塗りの有馬山丸は正にまさに祖国の船ぞ涙しこ
ぼる。同僚の坂本軍曹の歌。
第一陣はこの船で帰った。
工兵隊の帰還は最後尾に成るような予感がした。
日本の船は全部沈没して、迎えに来る船が無いと
のこと。当分の間はこの話で持ちきり、仕事も余
り手がつかない状能心が続いた。