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「タトン」付近の農家

  ・・・「 キャウキ 」到着 終 戦

所々に部落があり、どの家にも戦病死者が重なり会うよう
になって、白骨化している屍もある。二度と顔を向けられない有様で、あたり一面屍臭
がただよい.部落の中では休息するところもなく、まるで地獄に脚を踏み居れたのでは
ないか、と思うばかりであった。こんな状態が目的地に近づくにつれて益々激しく成っ
ている、本当に後一歩の処まで辿りつき、ここで体力・気力尽き果てて息を引き取った
のであろう、何とかして救い出す方法はなかったか、後方部隊の救いの手が全く無かっ
たように思われる。
「バヤジー」付近で、聯隊長を病院に引渡したように思う。梶原軍曹も此処で別れた。梶
原軍曹も途中の部落で銃撃に会い首を射たれたが,頑張って歩いて行軍を続けていた。
八月三〇日頃、「アルメ」部落に着いた。この付近から砂糖黍畑が続き、そこは相当荒さ
れていたが食べる事が出来た。三ケ月近く糖分は口にしていなかったので、久し振りの
ご馳走だった。
九月五日、無事「パウン」に到着することができた。「パウン」は「モールメン」北方三
〇キロ位の地点である。我々は此処で当分の間駐屯することになった。
食糧は英軍より支給を受ける事になったが、一日の量が一食分に満たない量のため皆で
いろいろと苦労した。