前へ 目次 次へ


「タンザビア」の海岸

 ・・・帰 還

三月十一日午後九時「ラングーン」を出航して三日目「シンガポール」に寄港した。
日はとっくに沈み灯が見えた、波は静か,もう戦争の面影はない。
三月十四日、「ボルネオ」を過ぎ「ルソン」鳥が真近で「バシー」海峡を通過する。
船酔するので「ハンモック」にした、お陰で船酔する事もなく無事通過する事が出来た。
沖縄の東側を島に沿って北上し、噴煙の見える島が影のように地平線にみえる。
早朝豊後水道に入ってきた、船員は全員冬の服装に変っていたが、我々は枚数を重ねて
寒さを凌いだ。
まだ人影は見えない、懐かしい内地の海岸線は特に実しい。
三月十九日,宇品港に入港した。日本の看護婦違の色の白いのに驚いた、皆んなとても
綺麗に見えた。
三月二〇日、宇品港上陸。頭からDDTを振りかけられ、身体検査・装具の検査等終了
した。毛布一枚、海軍の服の支給を受け、金三百円を貰う、これで終りの様だった。
聯隊本部の数人が残務整理のため、海田市の紡績工場跡で三月三一日まで厚生省嘱託と して勤務した。