16 大東亜戦
昭和十六年(一九四一)十二月八日大東亜戦争勃発はここ
「ナトラン」の街で聞いた。班長を初め先輩達は皆んな中国語が
話せるが、安南では一寸見当が違う様だった。「サイゴン」には
二、三日滞在して、軍の渡河のため「メコン」河に向かう。
十二月十二日から月末まで中村小隊は「ゴトーハ」「ブレーク
ニュークリ」間に於いて師団糧抹交付所の警備、「メコン」河の
交通整理に従事した。ようやく南国の気候に身体の方も慣れてきた
様に思う。共同炊事も板に着いてきた。昭和十七年(一九四二)
一月一日正月を「カンボジア」の首都「プノンペン」で迎えた。
街の様子を余り見る事もなく一月五日「プノンペン」から汽車で
「バンコク」に向かう。一月七日早朝にはタイ国「バンコク」に到着した。
ホーチミン (メコンデルタ)
汽車の中で我々の乗っている貨車のみ切り放すとの連絡があった、
予定通り「バンコク」に到着すると一貨車のみ切り放された。
「チェンマイ」に向こう列車に接続の予定が何時まで待っても其の
気配がないので連絡を取ってみると予定の列車は既に出発し次の列車は
夕方の予定との事、一応外に出して貰って「バンコク」の街を見物した。
バンコク市街
我々が見ても、安南人、「カンボジア」人、「タイ」人の区別は
全くつかない服装が多少変っている程度である。各國共皆んな大変
親切で顔は日本人と余り変り無く違うのは言葉だけで親しみがもてた。
中国人(華僑)についても、日本軍に対しても嫌な感じがなく
寧ろ言葉、文字が通じるので近親感がもてた。
バンコク市街