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21 「ミイトキーナ」

昭和十七年(一九四二)七月二六日「マンダレー」を出発して 「サガイン」を渡り、ここから「ミイトキイーナ」に汽車で向った。 汽車は薪を焚いて走っていた。敵の空襲を避けるため、夜間のみ走った。 「ミイトキイーナ」に着いたのは八月二日頃だった。この地域 「ビルマ」山岳民族の「カチン」族が多く竹で作った家が大部分で 粗末なものが多い。ここで徳島歩兵第一四三聯隊の麻植中尉に会った。 入隊まで勤めていた佐々連鉱山で机を並べて仕事をしていた一人だった。 余り話をする時間もなく別れたが、その後の消息は無い。 我々は「ミイトキイーナ」から「サンプラバン」に至る道路の 補修作業で小隊が数キロ間隔に配置され天幕露営する事になった。 作業は勘定作戦の時の捕虜が配属された。

サガインヒルからイラワジ河

「ビルマ」の雨期は初めての経験であるが、日を追うに従って雨は 次第に激しくなり、食糧の補給は少なく、夕方になると「ブヨ」の 大群に襲われる天幕に蚊帳が付いていたが、役に立たない、頭の髪の 中に入って血を吸うやっかいもの、其の内に「マラリア」患者が続出 「デング」熱患者、元気な者は何人も居なくなった。 捕虜の中には逃亡する者も出て最悪の状態となったとき、移動命令が 出て何とか一命ををとりとめた。後でわかった事だがこの付近は短い 雨期の間に五〇〇〇ミリの雨が降り病気の巣窟と言われている。 人の住める処では無いようだ。 九月二十日附け兵長に昇進する。

メイミョー公園

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