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27 「シンゼイワ」


敵第七師団の兵力約二,八〇〇、戦車一二〇台、トラック群 一,〇〇〇車両を越える大部隊、二月七日敵の退路を完全に 遮断して袋のネズミとした。しかし敵は戦車によって前周防御 と航空補給を実施し次第に戦力を強め、工兵、歩兵の夜襲も 次第に通じない。わが方の陣地は戦車砲、野砲の攻撃を受け、 山は裸になり、壕は潰され負傷者続出し、一週間の食糧、 弾薬は底をつく。二月二六日ついに囲みを解いて後退する事 になった。各隊に連絡がとれて出発するのは夜明けとなった。

ラシオ・メイミョー間車窓から

「ナゲドーク」付近で敵の機関銃、迫撃砲の攻撃を受け、 付近の山に退避、夕方まで我慢して日暮と同時に出発した。 負傷者も歩ける者は歩いて、歩けない者は馬の両側にす巻き にして荷物同様で後退した。其の夜も途中で夜が明けた。 「ポンコリ」河付近の草むらの中で一日を過した。日陰は なく太陽に照りつけられ、足元には干満の差があるのか水が どんどん上がってきた、残り少ない堤で何とか一日を過した。 二月二八日無事「ブチドン」に到着した。三月十二日には英印 軍が「ブチドン」に進入している。我々は「ブチドン」を後退 して「アラカン」で雨期を迎える。 昭和十九年(一九四四)六月一日軍曹に昇進する。

ラシオ・メイミョー間車窓から

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