60 銅山川ダム完成に至るまで
安政二年(一八五五)の旱害で先覚者が銅山川の分水を着想
慶應三年 三島代官松下節也が計画を立案した。
明治六年以降 地元有志や商社がしばしば事業実現へ
努力するも成果上がらず。
大正三年 川滝村紀伊氏等有志が疎水事業許可を
深町知事に申請する。
大正四年一月 東予水力会社より同様の出願あり。
大正五年四月 東予水力と紀伊氏間に給水契約を結ぶ。
大正五年九月 地元有志は発電事業を加え事業変更出願す。
大正五年十一月 知事は出願認可を内務大臣に稟請し
徳島県と協議す。
大正八年六月 徳島県は分水に反対協議不調となる。
大正十三年 宇摩郡地方大旱魃農作物七割減収農民の
分水熱は一層高まる。
大正十四年二月二八日佐竹知事から内務大臣に銅山川
河水引用の件認可申請す。
大正十五年九月 地元代表と金砂村代表は数回にわたって
分水問題を協議し金砂村代表の無条件承認
によってこの旨を知事に答申す。
折坂神社から銅山川下流を望む
昭和六年 笹井知事、土居徳島知事及び内務省
土木局長が分水事業を協議し協定成立す。
昭和八年 前記会談決裂し両県対侍、険悪の空気みなぎる。
昭和九年 銅山川分水期成同盟会結成さる。
昭和九年九月 宇摩郡地方大旱魃のため県会は分水事業
の実現促進を満場一致で可決し内務、農林
両大臣に意見書を提出し促進方を陳情す。
昭和十一年一月四日 内務省が事業認可案を作成す。
昭和十一年一月二十日 徳島県との第一次協定なる。
昭和十二年 県営で第一次隧道掘さく工事に着手
金砂ダム
昭和二一年六月井華鉱業株式会社と第二次隧道請負契約成立す。
昭和二一年九月 徳島県の反対で工事一時中止する。
昭和二二年三月一日 徳島県と第三次協定成立する。
要旨 三島町外八ヶ町村潅漑水補給と分水
発電所を設置する。
昭和二四年四月 堰堤予備工事に着手す。
昭和二四年六月三十日 第二次隧道貫通する。
昭和二五年六月 揚水ポンプ設備完成する。
昭和二五年八月十四日午前十一時四五分
銅山川の河水が始めて宇摩平野に流入
安政以来九六年目に宿願なる。
昭和二六年三月 徳島県と第四次協定成立する。
要旨 堰堤の高さは五三メートルとする。
昭和二六年五月 堰堤コンクリートの打込み始る。
昭和二六年八月十五日 堰堤定礎式挙行する。
昭和二六年十一月 発電事業の新隧道工事に着手する。
昭和二七年六月十三日 金砂村立退き補償問題解決する。
昭和二八年十月七日 竣工検査終了第一発電所は発電開始。
横薮部落