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63 埼玉県川口市の生活

一生を鉱山に骨を埋めるつもりでやっていた仕事を 辞めて、また、新しい仕事につく、子供達の事とかが 次から次と頭の中を横切り感慨無量である。

佐々連東区社宅

十一月十七日、十八日と親戚の家にお別れの挨拶を して、十九日十時四十分伊予三島を出発した、 二十日朝東京に到着、引き続き小中学校に転入手続、 川口市芝支所にも転入手続を行う。家の方は、約束 より大分遅れ屋根と壁が出来た程度でまだ入居する にはほど遠い状態でしたが、荷物も人も来てしまって 今更文句を言っても 仕方がない、水と電気を早速引いて頂き、仮の畳を 入れて寝る事にした。十一月の後半ともなれば朝夕 はかなり寒さを感じる時期だが丁度昭和三八年は 暖かい歳だったので何とか過す事が出来た。 毎日毎日大工が来る。水道、電気屋さんと入替り、 立ち替り来る、その都度荷物移動しなければならない。 解梱もままならない中で毎日少しずつ仕上っていった。 昭和三九年(一九六四)の正月をこの新しい家で 迎える事になった。新しい家と言っても二戸建て 住宅で二階をアパートにした。面積は、一戸分、 十坪で佐々連に居た社宅より狭い、なに様収入が 少ないのでアパート家賃を含めて今からの生活設計 を建てる事にした。子供達も落ちついた模様で 毎日楽しく学校に行っている様子だった。

川口市に新築 (2戸建)

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