前へ 目次 次へ

あ と が き

旅日記の原稿は1996年2月にはWindowsのWord95で概ね 完成していた、併せて自分史も書いていた。現在の印刷 機械は次々と新製品が出ている。何とか、カラー写真を 含めて、自分で印刷まで出来ないかと考えた。昨年の年 末近くになって、スキャナーとカラーコピーの連動とあわ せ検討した。夏の間は一生懸命コンピューターのペイント を使って絵を書いてみた。ディスク一枚に絵が一枚しか入 らない。文字であれば原稿150頁が一枚のディスクに入るのに カラー写真になると桁が違ってくる、縦書き文章の上に 写真をいれる事にした。130MB,のディスクを使っても 写真の枚数が多いので、数枚に分割して漸く文章と写真を 合わせて挿入する事が出来た。縦書きの文章に横書きの説明 文そして写真、最初に設定したページも写真挿入で無駄に なってしまった。自動入力が出来ないので、手動で入力した。 コンピューター、キャド、カラー印刷等の作動、連結作業は 息子の裕一が全部やってくれた。私は入力するだけでいっぱい、 新規のことをやるのに三日いや一週間位かかって漸く思う様な 入力が出来る状態である。途中容量不足で、機械が止まって しまう等のトラブルも度々あった。

中七番 別子ダム

丸一年立ってようやく印刷の目途が付いた。それも当初は B5の袋綴じを予定していたが印刷機がA4に換わったので、 A4に切り替えた。印刷にいたるまでの経過である。旅日記は 思い出すままに綴ってみた、一部は自分史の中に入れることに した、挿入した写真の説明に間違っているものもあると思う。 旅行に同行された方々にはその都度大変お世話になり、思い出を 作る事が出来ました、心から感謝申し上げます。 旅日記は97年4月には印刷、製本出来る運びと成っていた のに入院してしまった。十月十日旅日記は無事完成した。 引き続いて自分史の仕上げにかかった。金砂村の歴史その他に ついては、富郷農協発行の嶺南の中から引用させて頂いた。 一九九七年(平成九年)十一月故郷に残している、親譲りの 山林を引き継ぎのため家内と裕一、三人で出かけた。金砂湖を 見るのはこれが最後かもしれない。村の景色も、雰囲気も全く 変わって昔の面影はない。 今はない銅山川の一本橋が懐かしく感無量である。

大永山トンネル(別子、新居浜)

前へ 目次 次へ