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9 測量見習から測量係

昭和十年(一九三五)七月私が測量に転属した時に測量を 担当していた森田信清先輩は十一月に現役兵として松山 歩兵第二十二聯隊に入隊した。測量には半年先に入った、 青木先輩が居たが何一つ教えて頂くことは無かった。十二月頃 会社を辞めてしまった。とうとう測量は私一人になった。 三角の勉強から測量の勉強、会社には唯の一冊も本は置いて なかった。自分で購入して勉強するしかない、藤井鹿三郎の 最新測量学、定価六円五十銭を三ヶ月掛けて購入した、測量を> やれる人は一人も居ない、鉱山長の清家さんが私が教えて やると基本から教えて頂いた。その頃金砂坑、佐々連坑、 金立坑を一本に貫き金砂分れ(金砂、佐々連の分れ道)川又に 最新型の浮遊選鑛場を造り選鑛場地並より電車坑道を開鑿する 構想が清家鉱山長より打出されていた模様だ。春早々清家鉱山長 と私が金砂坑に長期の出張となり、金砂坑口より金砂分かれに 到る間の測量をスタジヤ測量で実施した。ここで初めて測量の 面白味を感じる事が出来た。

佐々連青年団奉仕 尾立 川村 鎌倉 石川 石井 松尾 石井

座標計算、トラバース閉合補正まで鉱山長一人でやり成果簿を私に渡された。まだ算盤も充分出来ない 私に手伝わせると時間がかかるので自分でやってしまったのと思う。膨大な資料だった。精度は別として 後々まで大変参考になった。

事務所 合田 石川 伊藤 受川 藤 原

佐々連山神社大祭 (S14,5,9)

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