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10 鯉谷鉱山調査測量

昭和十二年(一九三七)五月またひき続いて広島県深安郡の 鯉谷鉱山の調査測量に出発した。今治から尾道に船で渡る、 トランシットは何時も膝の上でこれが大変だった。
今治で船待ちの間旅館に寄った生れて初めての豪華料理が出た。 一人二円の支払いをしていた。夕方尾道に着いた、江草さん と言う方が出迎えに来られた。鉱山師で鉱山の事は大変詳しい 模様。案内された旅館はまた立派なのに驚いた。その夜は大変な ご馳走だった。これから山に入るから明日からはご馳走はないよ と言われた。一泊の宿泊料はお一人様金五円、早朝から車で現地 に向った。この日も一日周辺の旧鉱山を見て廻った。五、六ヶ所の 鉱山は何れも休山していた。一週間足らずで測量を終了新しい 坑口も決定して帰る事になった。私にとっては初めての経験で 大変勉強になった。

青年学校時代 (昭和13年)

ここ、深安付近は交通が便利で、また各家庭が裕福で、全員 中学校に進学していると聞いて驚いた。八月頃から清家鉱山長 が退社するとの噂が流れそれが真実と成ってきた。十月頃から 荷造り用の木の箱を準備していた。出来上がった木箱のニス塗り に毎晩八時頃までかかり、その手伝いをした。 清家鉱山長は十二月退職され、その後、日本鉱業(株)に入社 された模様。鉱山長は社長の親戚で、また、金砂村の村会議員 も務め、会社では人望も厚く、会社にとっては無くて成らない 人だった。後になって判った事だが、昭和十二年(1937) 十二月住友鉱業株式会社が佐々連鉱山の経営に参加している。

小型トランシット 石川順一18才 山田虎夫 氏撮影(S14.10)

翠波峠 山田氏撮

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