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12 平野鉱山長就任

昭和十四年暮れになって平野鉱山長が就任した。 大変温厚な人だが年輩だった。昭和十五年(一九四〇) 正月安全祈願のため、讃岐の金比羅神宮に参拝した。 この時初めて、事業所は勿論本社役員全員が集合した。(写真参照) 四月頃に新事務所が金砂通洞入口付近に完成し、佐々連坑 事務所は閉鎖し金砂新事務所移転する事になった。測量の 部屋は二階の南向きで最高の部屋を頂いた。測量に対する 認識が非常に高かったせいと思われる。 日支事変が益々拡大する折り、私も徴兵検査を受けるように 成り、結果は甲種合格となった。来年四月善通寺工兵隊に入隊 する様通知が来た。 三月二五日、川口青年学校研究課一年を卒業した。入隊が一年 延びた為めもう一年青年学校に行く事にした。青年学校は軍事 教練が主で一般学科は雨天の時が多かった。 昭和十六年(一九四一)正月を過ぎて二番目の姉が、岡山大学 病院に入院する事になった。

宇摩郡青年の集い 寒川長谷観音

私も四月には入営しなくてはならない。さてこのまま入営して 体力が耐えられるか一寸心配だった。胃酸過多症と鼻が少し悪い ため、姉の付き添いを兼ねて治療する事にした。 二月一パイ付き添いと治療に当たった。其の間に姉の手術もやる 事になり、大阪から、嫁いでいる姉が看護に来てくれた。手術を 担当された先生は岡山大学外科の石山教授だった。 多少の不安もあったが、これで全快すると思っていたが、手術の 結果は余り、良くなかった。入隊まで一ヶ月を残すのみで私も退院し 出勤する事にした。 会社では席をそのままで、入営する様勧められたが、二度と還って 来る事はないと思い、是非退職をお願いした。結論が出ないまま入隊 する事になった。

橿原神宮 大阪の兄と

 

岩城鉱業株式会社 社長以下役職員一同

父 兄 妹 従兄弟 石川精一郎

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