29 「ミヤンミャ」
昭和十九年(一九四四)九月下旬工兵第五五聯隊は
「ミヤンミャ」に根拠地を構え周辺地の警備となる。
「イラワジ、デルタ」のこの付近は「ビルマ」の中でも
裕福な家が多い様で女の子は一日に数回「ロンジー」
を着替えている。昭和二十年(一九四五)の正月は
「ミヤンミャ」で楽し迎える事が出来た。
「ビルマ」に来てこんなのんびりした日を過したのは
初めてで食糧も酒類も種類が豊富で何処で戦いをして
居るのか錯覚を起す様な処だった。それも束の間
「アラカン」では次第に敵が前進し夢の楽園だった
「ラムレ」島も一月二一日、英印軍が占領している。
北方では「ミイトキーナ」に敵の空挺部隊が降りた
とか、不安なニュースが次々と飛込んでくる。
工兵第五五聯隊にも北に向って出動命令が出た。
ビルマの民族衣装
私は聯隊の重要書類全部の保管に当たる事になった。
日数を待たずして、次第に状況が悪化して来て、住民達の
動きも変わって来た。数日して重要書類を焼却する様に
との連絡がはいった。暗号書、乱数表等は使用中のを残し
焼却した。これに数日を要した。状況は相当切迫している
模様だが書類が少なくなったので一安心した。
後は引き上げ命令を待つばかり、しんがりを務めるので
状況がつかめない。出発したのは五月二日頃と思う。
武智隊の指揮下に入り、夜間に乗じて「イラワジ・デルタ」
のクリークを北上して、五月七日頃「レバダン」南方部落
に上陸した。まだ、敵の姿は無かった。
「ラングーン」は五月二日に陥落している。
ビルマの牛車