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31 「シッタン」平地突破

運命の出撃の日は七月二十日と決められた。いよいよ出撃、 全員二メートルの竹を二本持って行くよう命令である。 出発になると各所で、手榴弾の炸裂の音が聴こえてくる。 これは病気になって衰弱し皆と共に行軍出来ない患者である。 こんな状態では手をかす事も出来ない。ただ、手を合わせて ご冥福を祈るのみである。山麓に出るまでに大半の者は竹を 捨ててしまった。山麓まで二日位かかったと思う。 「マンダレー」街道と鉄道線路を越えねばならない。 先遣隊は激しく応戦している模様である。辛うじて夜明け前に 「マンダレー」街道と鉄道線路は敵の抵抗を受ける事もなく 横断する事が出来た。しかしこれから先が大変である。 見渡す限りの大平原が腰までつかる沼池になっていて、その 中に点在する部落が有り、そこを目標にして進む。「クン」河 を渡って部隊は進路を北に転じている。水深が深かった為だろう。 歩兵団司令部は我々部隊と前後して進んでいたが連絡不通、 「クン」河を渡って真っ直ぐに東に進んだため「シッタン」、 「クン」河の三角低湿地地帯に迷い込み水深が深く 「テンガビン」付近で多数の水死者を出した。湿地帯では七、八 センチもある蛭に悩まされた。 「チッチゴン」部落で隣部落より迫撃砲の攻撃を受け松井中尉が 脚に負傷、聯隊長も両足をやられた。梶原軍曹も首に負傷した。 西山曹長も数日前に部落で腕に弾を受けている。 本日より聯隊長の一切の看護を仰せつかった。担架だけで 二十名近くの人が必要である。八月三日「ジゴン」部落付近で 目指す「シッタン」河にたどり着いた。 三〇〇メートル近くの河巾一杯に濁流が滔々と流れている。

シッタン河西岸ワウ大平原

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