33 「キャウキ到着」終 戦
「キャウキ」で歩兵団司令部と合流することが出来た。歩兵団司令部は 「テンガンビン」で苦労し「シッタン」の渡河は八月十三日までかかり 八月十五日、ようやく「キャウキ」に到着している。装具は流され裸の ままの状態でたどり着いたよう。八月十九日「イワガレ」西方十キロの 地点より出発し「シュエヂン」を目標に南下した。 師団は八月二一日「カニ」でようやく終戦の情報を聞いた模様である。 各兵団は「シュエヂン」に至るまでの行軍に、多くの落伍者を出し、 その状況は誠に惨澹たるものである。体力も気力も尽き果てて、戦友の目 を逃れて落伍していく。身を横たえろと、立つ気力もなく静かに眠り、 ただ死期の訪れをまっている。
ビルマの部落
終戦の言葉を聞いて張り詰めた気持ちは俄かに緩み露営地に残った者は、 大部分そのまま息を引き取ってしまう。どの部落でも戦病死者が重なり合う ようになって死んでいる。二度と顔を向けられない有り様、あたり一面 死臭が漂いまるで地獄に足を踏み入れたのではないかと思うばかりであった。 こんな状況が目的地に近づくにつれて益々激しくなっている。 本当に後一歩の処まで辿り着き、ここで体力、気力尽き果てたのであろう。 ただ涙を誘うばかりの光景である。「バヤジー」付近で聯隊長を病院に 引き渡したように思う
マルタバンからシッタンに向かうミラン付近
九月五日無事「パウン」に到着すことが出来た。「パウン」は 「モールメン」北方三十キロ位の地点である、我々は此処に当分の間 駐屯することになった。食糧は英軍より支給を受けることになったが、 一日分が、一食に満たない量のため苦労した。九月二八日「パウン」 より「キャウサリー」に移動する。十月十五日ころ武装解除が 行われ、武器は一個所に集められた、これで日本軍は自衛できる ものは何一つ持てなくなった。それで毎日英軍の作業に駆り出され ている。十一月十一日「キャウサリー」より「チャイポン」に移動する。 十二月一日ポッタム曹長
マルタバンからシッタンに向かうミラン付近
昭和二一年(一九四六)の正月を「チャイポン」で迎える。 終戦後初めての正月だが異国の地ではただ望郷の念を駆り立てる だけである。迎えの船、有馬山丸も先発隊を乗せて帰ってしまった。 どうも工兵隊は最後になるようだ。