34 「モールメン」
一月二一日「モールメン」に移動する。 相変わらず作業に出され一日中働かされた。現地人は見廻りの来た ときだけ働いて、何か持ってかえるものはないか様子を見ている、 日本人の性格にあう請け負い式の作業を提案したが駄目だった。 七月十四日「ラングーン」「アーロン」に到着した。八月十八日 「ミンガラドン」に移動し、本格的な作業に駆り出される。ちょうど その時、聯隊長外四名が戦犯者として、裁判が行われる事になった。 B二四の墜落による飛行士達の銃殺に関わった疑いの人達であった。 軍事法廷に証人として私もたつことになった。原告側の証言をしている のは、工兵隊の通訳をしていた「ビルマ」人モンバレンである。 私が証言台に立つと早速モンバレンがこの者も銃殺に参加したと 言われ、頭の中に血が充満したか、その後、何を証言したかは、 記憶になく、呼び出しも無かった。「ミンガラドン」では皆が体力も 回復し食事も良くなった。お陰で野球チームや劇団まで出来て作業の 合間の一時で心を癒す事が出来た。それでも、部隊によると将校と、 兵の間に問題が起きている模様で、軍隊はもう無いんだ、将校も兵も 一緒だと、将校も作業をするようにと、思いやりの無かった下士官、 威張っていた将校など袋叩きになったと聞いた。我が隊では、そんな 事はなく平穏無事に過ごした。
ウオンサン将軍の碑