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35 帰 還

昭和二二年(一九四七)二月二八日内地帰還のため「ミンガラドン」 を出発し「アーロン」に到着する。いよいよ日本に還る事が出来る、 帰国準備で忙しく成ってきた。三月八日八時「アーロン」を出発し、 十二時「ラングーン」埠頭より乗船したが、この時戦犯者として途中 から降ろされるのではないかと心配して、皆の中に潜り込む様にして 乗り込んだ。何の事故も無く無事午後五時頃出港した。「ビルマ」よ さらば、もう二度とこの地を踏むことは無いだろう。足掛け六年の歳月、 亡き戦友よ安らかに眠れ。「シュエダゴン」パゴタが夕闇に次第に 小さく成っていく。さらば「ビルマ」よ、感慨無量である。 船は英国の貨客船「エンパイヤプライズ」号、「ベンガル」の海を南下 してゆく、十日もすれば祖国日本に帰れるので、皆の気分も大分落ち着 いて来たようだ。出港して三日目「シンガポール」に寄港した。夜のため 何もみえず。三月十九日早朝船は豊後水道に入ってきた。船員は全員 冬の服装に変わっていた。我々は枚数を重ねて寒さを凌いだ。 四月二十日宇品に上陸。頭からDDTを振り掛けられて、身体検査、 装具の検査等終了し、解散郷里に帰った。

ヤンゴン慰霊碑前

我々聯隊本部数人が残務整理のため海田市の紡績工場跡で三月三一日 まで厚生省嘱託として勤務し、帰り道後で「ビルマ」の垢を落として 郷里に向かった。伊予三島駅で下車、一応中曽根村の叔母の家に立ち寄り 先に復員していた精一郎に会って、翠波峠を越えた、折坂に下った。 途中の七曲がりの坂道まで父が迎えに出てくれていた。一目見て大分歳を とったなあと感じた。それでも元気に迎えてくれた。

ヤンゴンパゴタの林

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