37 復員後の村とわが家
昭和二二年(一九四七)四月一日道後に一泊して、翌日伊予三島に 汽車で帰って来た。早速中曽根町の叔母の家に立ち寄り皆の元気な 姿を見ることが出来た。一緒にビルマに行っていた、従兄弟の精一郎は 一年前に復員していてもう仕事に精出していた。復員の時支給された 荷物を背負って翠波峠を登る。三島の町が一望出来る峠で町をを 望みながら七年前丁度この峠を越えて一躍征途についたが今見る 三島の町は寂しさが漂っているように見えた。 峠を下って折坂部落にさしかかると父が一人迎えに来てくれていた。 家では丁度妹富子の結婚で門出の時であったようである。お相手は 妻鳥町の石村嘉寛で義姉の親戚とのこと。体が快復する七月まで 我が家で静養した。 復員して仕事はもとの佐々連鉱山に勤める事が出来たが結婚が 問題となった。さきに復員した者は大半結婚している、また、若い者 がどんどん結婚する状態で、三〇歳近くになって貯金はなく、 背広一着が無い、作るとすると一年分の給料が必要でなかなか 思う様にはいかない。父も大分歳をとっていた。金砂ダムの建設も 軌道に乗り話合い等で忙しい様であった。父に連れられて娘の居る ところに下見と言うか何軒か廻った。 何と言っても七年間の空白が大きい。
選鉱場と工作作業場