38 結 婚
昭和二三年(一九四八)の春大阪の義兄の紹介で香川県三豊郡 大野原町義兄の出身地の本家の娘と顔合せすることになった。 正式の見合いでなく一寸顔を見る程度で後は義兄の話を聞くだけで 一応決めてしまった。先方もそれで良いとの事で話はとんとん拍子に 進み五月二三日結婚式と決った。式当日まで本人と話をする事もなく、 また電話も手紙を出す事もなかった。結婚式は自宅で行った。 横薮部落の対岸まで自動車が来る様になった。そこからは歩いて 丸太の一本橋を渡って横薮部落に来る。荷物も肩に担いで持って来た。 仲人になった義兄は大阪なので交通が充分でない時機で来られなかった。 代役に叔父がやってくれて形ばかりの結婚式を済ませた。 披露宴は鉱山からは岡、深堀両課長と友達、それに親戚、近所の 郵便局長さん、お巡りさん達二十人余りで食糧の無い時だけに楽しく やって頂いた。
金砂湖 折坂・横薮部落
お酒は配給を蓄えて有ったが充分でない。最後はヤミ焼酎の様なものも出てきた。 何とか十二時過ぎには終わったようだった。不便な処なので皆んな泊まって翌朝帰った。 私たちの結婚を境にして父や姉達は中曽根町に新住居を構えた。兄はまだ役場に勤めていた ので残っていたが畑の仕事が相当有った。それも対岸の岩鍋部落と横薮部落と二ヶ所に分れている。 私はあまり手伝いはしなかったが、家内の方は毎日畑仕事で相当の重労働だったと思う。
ダムの中に立つ索道の支柱
鉱山事務所付近から翠波山を望む