42 調査係長土井正民氏着任
昭和二七年(一九五二)春早々測量係が調査係となり、調査係長
に土井正民氏を迎える事になった。土井氏は東京大学理学部地質
を出られ帝国興発(株)に勤められ、その後財閥解体により
野田玉川鉱山に勤められた模様、着任早々から積極的に坑内は
もとより周辺の地表調査を実施した。最初は私は道案内程度と
思っていたが、次第に業務の大半を占める様になった。四月には
京都大学卒業の平田洋一氏が調査係に来た。調査係の組織も調査、
測量、試錐、試料の四つの部門に分れた。
土井正民氏
四月十日から月末まで二十日間に亙って化学探査の講習が行われ、佐々連鉱山より私が参加した。場所は岡山県の
上房鉱山、住友の所有する休業中の鉱山の様であった。別子、鴻之舞、国富、八総鉱山、本社からも参加している。
講師として東京大学教授木村健二郎先生、助手として島先生、学習院大学在学中の木村先生の子息も参加した。
各鉱山代表としての参加と化学は初めてなので心配と興味が入交じり毎日緊張の連続だった。
方法は沢水を二十メートル毎に採取してPHの測定後ヂチゾン法によるPb、Znの分析をする。
ピンク色の濃度により判別する。その他二十メートル方眼に土壌を採取して分析、また植物の葉の分析等により
鉱床を探査する事であった。
昭和二七年(一九五三)六月十三日には銅山川立退問題について地元県議井原岸高(後衆議院)、井上、大西の
三名を含め松山道後岩井屋で最後の交渉をもった。