44 佐々連鉱業所編成表 昭和二八年十一月二五日現在
┌─総務
┌総務課─┤
│ └─厚生
│ ┌─経理
├経理課─┤
│ ├─資材
│ └─運輸
所長─┐│
││ ┌─採鉱
├┼鉱務課─┤
││ ├─選鉱
副所長┘│ │
│ └─調査
│ ┌─工作
├工作課─┤
│ └─索道
├保安係
└診療所
佐々連選鉱場と工作事務所
昭和三十年(一九五五)三月一日星川善視採鉱係が 金砂坑十四番坑道で発破事故のため殉職された。 星川氏は昭和二五年新居浜高専を出られた前途有望の 青年だった。社宅が棟続きで私達の隣に住んで二歳に なる女の子が居た。休みになると隣同士でマージヤン などやって楽しく過していた。奥様には本当にお気の毒 でお慰めする言葉もない。ご冥福を祈るのみである。
四月十五日には高等学校卒業生が十人余り入社した、 三井桂が試料係に他に寺岡、佐薙、安田、秋山、南、 天野、高橋、井戸、村地、若くて元気のいい者ばかり、 今から三ヶ月間実習を受けて見習係員となる予定である。 昭和三十年(一九五五)五月一日金翠坑の探鉱開始 横薮鉱山の名称を改め、デイーゼルコンプレッサーを 設置して実施した。 五月より金砂別れ地区に新たに宅造し、社宅十四戸を 建設するため工事を開始した。さしもに廣い北京谷 地区も社宅で一杯になり、建てる余地がなくなった。伊予三島の兄と子供たち
金砂選鉱場前の鉱滓堆積場が満杯となり、グランドに 変身したため、軟式野球が出きるようになり何時の間 にか各課に野球チームが出来昼の時間がグランド一杯の キャッチボールである。佐々連鉱業所としての野球チーム も編成され、調査係からも田中、近藤、三井、の三名が選手と なっていた。 八月十五日社員移動、転入 山下忠、黒瀬筆治郎、田原、 高木、浜田 転出 志村和夫、横内圭次郎、中村、大西 三〇〇馬力斜坑十五番(海抜二八〇メートル)坑道に 貫通する。十二人乗り、六一二メートル。
四国地質学会 (S30,9)