45 旧佐々連坑火災廃虚となる
昭和三十年(一九五五)十二月二九日佐々連地区の監視 人宅より出火、残存設備のうち選鉱場と索道駅を残して 建物八棟を焼失した。焼失したのは寮、販売所、医局等 の建物であった。 昭和三一年四月桜の満開の時に長男裕一の佐々連小学校 入学式が行われた。 四月十五日より大喜多所長に同行して徳島県の次郎鉱山 の調査に行った。火薬を使用せずに坑道が掘られて居る のを見て驚いた。休止中の鉱山なので坑口付近の調査だ けで終わった。吉野川の河口付近をバスで通った。初め ての旅で吉野川の河口を見てこんな大きな川に成るのか と思った。景色も良いので所長と二人でバスの前に行っ てバチ、バチとカメラのシャッターを切っていた。お客 も少なく運転手も気を使ってか、何処でも良い処が有っ たら言って下さい。お停めしますと言ってくれた。 バスを停めて写真を撮るのは始めてである。
旧佐々連事務所と倉庫 (S9年入社当時と同じ)
七月十五日 転出 道場信太郎、池田正、難波八郎、伊藤寛、三輪吉雄
転入 都築一臣、高橋、重松、塩出、富岡、勝又、藤田
七月一日付 調査係に川口晃、福田博之
大喜多所長
吉野川大橋 |
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