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51 大喜多所長転勤、沢田所長就任

昭和三三年(一九五八)十月十五日、大喜多義一所長は 鴻之舞所長に後任澤田福三所長余市鉱業所より着任する。 若園正吉採鉱課長大口鉱業所に転勤 昭和三四年(一九五九)二月十八日金尾直敬調査係長、 チリー鉱山調査のため出発した。 二月十五日 佐々連鉱業所労働組合大会開催 四月五日  法皇隧道湧水のため調査の依頼現地調査を行った。 四月十日  転出 宮本泰八郎北見に 寺沢泰夫八総に       転入 金子一夫     増田憲一調査係に

大喜多所長転勤

四月十日  尾道、瀬戸田(西日光)撮影会と観光で一日旅行だった、 尾道は以前鯉谷鉱山測量に一泊した処で十万石の城下町、立派な お寺もたくさん有り最高の観光地である。西日光と言われるだけあり、 まだ新しい建物で日光の陽明門、本物はまだ見ていなかったのですごく 感激した。その他の建物も見事に出来ていた。天気は良く波が穏やかで 楽しい一日だった。 昭和三四年(一九五九)七月八日日仏交換学生ミッシエル、フォンテイユ 東京大学院修士課程留学(パリー鉱山学校出身二五歳)中、一ヶ月間 佐々連鉱業所で実習する事になった。東大渡辺先生も来山される。

高松の母


法皇ずい道湧水調査


東社宅崩落


東社宅崩落


東区社宅全景と一部山の崩落


別子鉱業所にて地質会議


フォンテイユ 小田 石川 立見辰男東大教授


戻の嶽 フランス留学生フォンテイユ


立見教授 藤原橋の上


フォンテイユ 石川 小原 平田 福田


出雲大社

七月二十日 転出 平田洋一、都築一臣、高橋、勝又、中前
      転入 田中直行、鎌田、日野、川合、水口、伊藤、小田康二郎
七月二十二日 写真 小田、脇、福田、森田、平田、伊藤、中西、森、近藤、小原、加藤、藤下、三井、三浦、石川、フォンテイユ
昭和三五年(一九六〇)一月一日金比羅さん参り、毎年正月のお参りは恒例に成っているようだ。武義それに大阪の孝一も来ている。 帰りには三島に立ち寄って一日を過ごした。

金毘羅参拝

調査 平田洋一転出 小田康二郎転入

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