89 佐々連小学校の歴史
大正十五年(1926)代用小学校として設立 二年生9名 三年生7名 計16名
昭和 三年 川口尋常高等小学校分校となる。 児童数 38名
昭和 六年 児童数 71名
昭和 七年 佐々連青年訓練所設立 児童数 21名
昭和十二年 佐々連青年学校設立
昭和十六年 川口国民学校佐々連分校場と称する。
昭和二三年 金砂分校を佐々連小学校とする。
佐々連分校を佐々連小学校の分校とする。
昭和二四年 児童数 本校113名 分校53名 計163名
昭和二六年 校舎 新築 児童数 本校138名 分校59名 計197名
昭和二七年 職員7名分校3名(3学級)十月分校廃止統合 児童数176名
昭和二九年 伊予三島市発足 伊予三島市立佐々連小学校となる。
佐々連鉱山跡記念碑
昭和三一年 児童数319名
昭和三四年 児童数469名 十二学級
昭和三八年 児童数486名 三月末三一〇名となる(鉱山人員整理 のため)
昭和四三年 児童数282名 (男154名 女128名)
昭和四七年 児童数196名 (男 95名 女101名)
昭和四九年 児童数100名 (男 48名 女 52名)学級数7
昭和五〇年 児童数 75名 (男 35名 女 40名)学級数6
昭和五一年 児童数 35名 学級数3 職員8名 鉱山五割整理
昭和五二年 児童数 14名
昭和五三年(1978)金砂小学校に吸収統合 3月31日佐々連 小学校廃校となる。
選鉱場、工作事務所、佐々連小学校、会館