90 白滝鉱山について
白滝鉱山は明治時代に入って盛んになり、その鉱石や 物資等すべて人力により四国山脈野路峯(九四九メートル) を越えて富郷村にに入り、葛川・城師・寺野・松野・ 岩原瀬・七々木・番所を経て寒川峯越しに寒川村に出ていた。 その物資を運搬する仲持ちが、毎日百数十人を数え、 また鉱山に商売に行く商人も大変な数で有ったとの事。 白滝鉱山は索道の架設を計画し、大正五年、白滝鉱山から 三島まで索道を設け、途中、城師山に起動所を作り、 また小川山岩鍋に起動所を置き、翠波峯を越して三島に 通じていた。
富郷豊坂猿田川合流点
それぞれ中間の駅では、木材、木炭、製紙原料の三椏、 楮をのせて平坦地に下ろし、三島からは金砂・富郷・白滝 鉱山に生活必需物資等を輸送していた。金砂地区も索道 架設により短時間で物資が安価に搬出、搬入ができ経済的 にも潤った。この索道も、金砂ダムの完成により、 法皇隧道が出来て、嶺南の道路も人の通る往還から自動車 道路となり、遂に、親しみの出来た索道も、昭和四一年頃 三島ー葛川間が取外された。白滝から葛川まで鉱石を索道に より運び、ここから三島までトラック数台で搬出すること になった。昭和四七年(一九七二)三月三一日白滝鉱山の 閉山により架空索道は全部撤収された。
完成近い富郷ダム
富郷ダム全貌